2005年04月11日

『部屋の起こり』

 いまは家の中さいっぺ部屋あってよ、

分かっちぇで、部屋、部屋て言うどれなぁ。
 むかしはガラーンとした大きなどごさ、筵下げだり、屏風立でだりして、みな暮らしていだっけど。
 あるどこの娘は、そこの家さムガサリ(花嫁)に行くごとになったど。
親ぁ心配して、
「いや、娘よ、お前はどうも屁ばり垂っちぇ、困ったもんだ。屁垂れっどぎは、人いねどこで、そっとたれるもんだぞ」
て、おっかがら教えらっじゃど。
 娘、嫁さ行って、ニ、三日したらば、青い顔して、だんだん食欲もねぐなって、
「はてなぁ、どこか悪れどこあんなんねべが、これこれ、嫁さん、嫁さん、どこか体悪れが」
「どこも悪れぐねっし」
「いや、実はよシ、おれ、屁たれんな我慢しったもんだから」
「屁なてでるもんだもの、そがえに我慢するもんでねごで。出もの腫もの所嫌わず、ていう諺あっから、屁などたっちぇもさしつかえねぇがら・・・」
「その屁もよ、おれの屁、他人ど違って、大きな屁たれるもんだからよっシ」
「大きな屁などたっじゃて、さしつかえないから、大きな屁たれろ」
「ほだべがっシ。ほんじゃなっシ、おれ屁たれっからなっシ、おどっつぁま、その大黒柱さぎっちりたぐづいておくやいなっシ、おっかさまはこっちの臼、おさえででおくやいなっシ。ええがんべが、たっで。みんなぎちっとおさえででおくやいなっシ」
 ほうして、嫁さんがちっとしゃがんでいたけずば、ボォーン、大きな屁たっで、いや、大黒柱も倒れっかどおもったけど。
「いやいや、せいせいした、おっかさん、やっと治ったず」
「屁我慢して、身体悪れぐされっと困っがら、この大っきな場所さ、壁でもつけで、おまえの屁屋(部屋)一つ拵って呉っこで」
て、拵ってもらったど。
これが部屋というものの始まりだったど。
どーびんと。
山形弁訳
今は家の中にたくさん部屋があって、分かれれて、部屋部屋って言うだろう。
 昔はガラーンとした大きなところに、筵下げたり、屏風立てたりして、みな暮らしてたんだと。
 あるところの娘が、花嫁に行くことになったんだと。
親は心配して、
「いや、娘よ、お前はどうも屁ばかりたれて、困ったものだ。屁たれるときは、人の居ないところで、そっと垂れるものだぞ」
と、お母さんに教えられたんだと。
 娘、嫁に行って、二・三日経ったら、青い顔して、だんだん食欲もなくなって、
「どうしたんだろう、どこか悪いところがあるんじゃないだろうか、これこれ、嫁さん、嫁さん、どこか身体の具合悪いのか」
「どこも悪くはないです」
「いや、実は、私、屁たれるのを我慢しているもんだから・・」
「屁なて出るものだもの、そんなに我慢するものではないぞ。出もの腫もの所嫌わず、っていう諺もあるぐらいだから、屁なんてたれても差し支えないから。」
「その屁もよ、私の屁、他人と違って、大きな屁なものだから」
「大きな屁なんてたれても、差し支えないから、大きな屁たれろ」
「そうですか。それではですね、私屁たれますお父様、その大黒柱にきつく縛りついてください。お母様はこっちの臼を押さえててください。いいですか、屁たれて。みんな、しっかり押さえててくださいね」
 そして、嫁さんがちょっとしゃがみこんでいたと思ったら、ボォーン、大黒柱も倒れるかと思うような、屁たれたんだと。
「いやいや、すっきりした、お母様。やっと治りました」
「屁我慢して、身体悪くされると困るから、この大きな場所に、壁でもつけて、おまえの屁屋(部屋)一つこしらえてあげるから」
と、こしらえてもらったのだと。
これが部屋というものの始まりだそうな。
どーびんと。